気づかなかった自分に出会えたワーク
離婚して家を出て行った父を恨んで赦さなかった私、父のようにはなるまいと怒っていた私、生前に会って話をしておきたかった私、父を常に心の奥底で意識し、コンタクトをとりたかった私、父と同格に並んでほめられ認められたかった私。頑張っていないと父に認めてもらえない、無意識な脅迫的な衝動があるので、のんびりする空白がたまらなく恐かった。何かしてないと落ちつけない、オーバーチャージ(過充電)することこそが、私の長所、積極性とさえ思っていた。その生き方のしみこんだパターンこそが、人間関係をぎこちなくさせ、しんどくさせる原因だった。
父を見失いたくないので、見える場所だけを見ていたようだ。見る視点を上にあげて俯瞰できたら、他人と私と周りの環境が見え、とるべき戦略が自由に選べる。そうすると、他人との衝突も緊張もぎこちなさもなくなる。
もう父をもう探さなくてよい、父は私の胸の中にいる。父と良い交流をしたかった小さい私も胸の中にいる、また交流できなかった小さな私は、恨んだり文句をいろいろ腹のなかで言っていたが静まり、私の胸のなかで仲良く同居した。
そして小さい私と父は会話した。父「何か知りたいことがあるか?」 私「5年のクラスの時、先生の言うことを聞かないで、友達が騒いでいた。嫌だな早く授業してくれと思った、ぼく間違っている?」
父「何かわかってほしい時に人は2つのことができる。一つは、暴れたり抗議したりしてわかってくれるまで態度で示すこと、もうひとつは、どうせわかってくれないと思ってあきらめること、お前はあきらめたんやろ。本当にわかってほしい時は、自分をもっと主張してもいいんだぞ」 私「わかった、やってみる」
私「まだ聞きたいことがあるんだ」 父「いいぞ」 私「中学になって正式に離婚が決まったでしょ、3年になって引っ越すことになったけど、俺引っ越したくなかったんだ」
父「知っているよ、お母さんは環境を変えたかったんだ」 私「嫌だといって、家出したらよかったのかな」 父「家出は極端だぞ、お母さんにこう言えばよかったんとちがうか」
「お母さんとお父さんは夫婦をやめたけど、ぼくにとっては、ずっとお父さんなんだ、ここには家も学校も友達もいて、懐かしい思い出の場所なんだ、もうこれ以上奪われることはしたくないんだ」
「言えるか、お父さん後ろで見とくから、お母さんに言ってみろ」 私「お母さんに言えたよ」 父「お母さんなんて言っている?」 私「お前の気持ちに気づいてやれなくてごめんなさいて言ってた」
父「よかったな」
小さな私と父は、こうして胸の中で同居し融合し一つになる体験をした。
私のアイデンティティーと思っていた信念が崩れ去った。
私の生きる力はどこにあるのか。
不思議な深い体験、この余韻を今は楽しむことにしよう。