セラピールーム耀 よう

心身を調節し統合するセラピー

7月のワーク

息がすえなくてしんどい。何かを恐れている。

昔の記憶

いま、どこにいますか。

11歳で、ひとりで父親が帰ってこなくなった家のなかにいる

父親もいなくなった、それに加えて母も妹も帰ってこなくて、ひとりぼっちになる恐怖がある。

母親が帰ってきたから勇気をだして聞こう。

もうお父さん帰ってこないの。お母さんとお父さんは離婚するの。どうしてなの。

それは、ぼくのせいなの。ちゃんと答えてよ。

母は、お父さんとは離婚することになった。お前のせいでは決してない。と言う。

どんなことがあっても、私はお前を離さない。お父さんが捨てたのではなく、私が手放さないのだ。でもどこで生活するかは、お前が決めてよいし好きにしたらいい。と言う

悲しいけど、お母さんとお父さんが離婚することは悲しいけど、そのことを受け入れます。

ぼくは、お父さんとそのおばさんと、仲良く暮らす自信がないから、お母さんと妹と3人で暮らすことを選びます。

わかった。お前にとっては、ずっとお父さんだから、好きなときに会いにいったらいい。と言う。

そしたら、どんな方法でぼくは連絡したらよいか、今すぐお父さんに連絡してよ。

わかった。会社でも自宅でも電話してくれたら、お父さんはすぐ約束すると言っているよ。

自由に連絡できるようにしてくれてありがとう。お母さん、もう ぼくは、あ母さんのための優等生をやめるからね。ぼくはね、成長するために、自分のための優等生になって生きていきます。

わかった。

母は泣きながら、応援しますと言う。

わかってくれてありがとう。お母さん大好きだよ。

自己の身体の対話2

その後、左足から左膝の痛みと移行し、膝にサポーターをしてかばった。

左膝との対話が続いた。人のせいにするなという。

左半身は、母親と関係する。

妹の気持ちを考えて、母親のことをどうするか考えて行動しろ。

老人ホーム入所のこと、墓のこと。

解決すべきことがわかり、行動していくと、左膝の痛みは減り、力がはいるようになった。

 

 

 

 

自己の身体との対話

自己の身体との対話

首を弛緩してしまった15年前から、全身の関節がゆるみ不調となった。回復してきたが、左足関節の痛みが再燃した。

身体の訴えを聞き、対話することにした。

 

左足;「待ち続けるのはいやだ」と言っている。 Mさんから教えられた。

以下はその後、発展した身体との対話である。

左膝:「他のせいにするな 俺を大事にしろ」

怒りがある。ばかにするな、俺を大事にしろ

決意もある。足が痛くても俺は好きなことをする

右足:「かばってくれよ、そう無理させるな、無理するなよ 限界もあるからな」

父親が右を通して語る

首;「まだ直ってないぞ」

腕;「しびれるのは、首のせいや」

(いろんなことを勝手に文句をいいよる、しゃべりよる)

腰:「俺もだるくて疲れてる、でもな、引き受けてやるから、まあそう恐がるな」

(上の位にいてはるのかな)

腹:「もうええやないか、許してやれよ」

胸;「泣いている (聞き役)」

恐いような、励まされるような、うれしくて泣いている

 

身体の中に、怒りがまだあるんだ

何に対して許すのか、母親か

うまくいかなかった理不尽なことか、挫折にか、痛みか、この15年にか

成功してない人生にか

いつも逃げているといった、組織のk1先生か

手相見て、ちょっと苦労するなといったk2先生か

もういい サレンダーしたい

お父さん 意識あるときに、話をしたかったな あの世にしかいないけど もう少し待っててな

 

恐さ

反対意見をいわれること、何も答えてくれないこと、無視されること

足が冷えると 気分悪くなる、耐えるしんどさ、昔は、耐えるのが美徳と思っていた。

冷えるとあかちゃんの声が聞きたくない。不快だ。

母のお腹の中が、少し冷えていたんだ。現在のことと、関係があるんだ

 

足と腰と首

しばって直してきた、包帯、サポータ、コレクターやからいっぱい集めた

縛りが長くなると冷える、循環わるくなって気分不良になる

気分不良になると防衛にはいる、より他人の声が聞こえなくなる、赤ちゃんの声も聞きたくない

胎児期のこと、これも防衛

昔も同じ防衛 家族はいない、一人で生きてやる、他人は信用できないと防衛した

 

悟ったこともあるよ

追い込まれて、壁、山にぶちあたったときこそ、救いがある

救いは、思慮をこえている 守護がえ関わること

煩悩即菩提と教えてくれた 昔の師 なぜ恨む 投影していたから父親を 父親を恨んでもいないし、もういない

おかしなこと

悩み煩悩が幸せ、目の前の壁と山が幸せ

私を育てた信仰からの脱却と再帰

自分を守ってくれる家庭がないと思い込んでいたことと、蓄膿症の病から、20年以上にわたりある療法を信奉してきた。最初、その療法は私にとって実行するのが難しかったが、長年の辛抱の犠牲により、信ずる生活態度を確立することができていった。親にかわるべき先生が、特別目をかけてくれていると潜在的に思っていた。15年前の、首の弛緩からくる全身の不調から、だまされたという思いが敵意に変わっていった。首を弛緩したのは、療法の一つとしてあっただけで、先生から実行しろと言われたわけではない。そう思うのは正しくないと頭でわかりながら、恨みを抱くのは辛かった。

その誤解がロロメイ博士の「失われし自我をもとめて」1970を読んで融解した。

世話をしてもらいたいという幼児の欲求は、成人しても残ることが多い。とりわけ宗教を信仰している人にとって強い。生涯をかけて何かをやりたいという並々ならぬ熱意をもつことが、信仰のプラスの側面である。また、そのような人は、「世話してもらう特別な神聖権」というような態度をとりがちである。神があなたを見ていて下さると教えられてきた。神に面倒をみてもらいたいという欲求は、その欲求が阻止されると、ただちに敵意が現れる。そのような人は多くのものを断念しなければならなかった。道徳的判断を下す力や権利も親にゆずらねばならなかった。治療家とか神のごとき親に代わるべきものが、特別目をかけてやらないと、だまされていることになる。

私は、母と別れた父親を先生に投影し、身体が不調になったことで先生と療法に敵意を抱いてきた。全く同じ構造がおこることをロロメイ博士に教えられた。人類共通のものがあるとわかったとき、私は苦しさから開放された。

自閉症の原因仮説


「自閉症スペクトラム入門」のなかで、バロンコーエンさんは、自閉症の原因を5つに仮定して説明している。

この仮説は、まるで普通の人をある面から分析した切り口であり、私にも関与していると思った。自閉症スペクトラムは障害ではなく、偏ってはいるが個性としての特徴ではないか。以下に紹介する。

1実行機能障害仮説

プランの実行や注意の切り替えができず、行動では、新しいプランや見通しを柔軟にこなすことができずに同じところを突っつきまわす状態になってしまうということで、自閉症の常同行動、反復や保続が説明できる。

2中枢性統合が弱い

入力した情報や全体像を相互に関連づけるのが下手で、状況の細部に焦点化する。定型発達の人は、全体を概観視する能力があり、核心を突いた要点に注目できる傾向にある。

自閉症スペクトラム(AS)の人は、情報を統合する能力が弱いので、細部に注目する傾向がある。これは、感覚過敏と関連付けて考えるのがよい。ASの人は音や肌触り、映像などのちょっとした変化をすばやく見つけることができる。

感覚過敏仮説のもとでは、気に障る不快のストレスを最小にするのに、刺激が少ない環境を、学校や家庭、職場で工夫することが大切である。

3マインドブラインドネス-仮説

この仮説は、サリーとアンのような、「心の理論」の発達が遅れていることに焦点をあてている。他者が何をしようとしているのか、ASの人は心の理論が使うえないので、他者の行動が不安になったり、当惑したり不安になる。

この仮説の限界は、他の疾患においてもマインドブラインドネスの態様を示し、ASに特有のものではないということだ。

4共感化、システム仮説

ASの社会性とコミュニケーションの困難について、「共感性の発達の遅れと障害」と「平均異常に強いシステム化」の対比で説明する。システム化とは、分析したり構成したりすることへの、衝動である。システムを定義することは、ルールに従うことであり、システム化するときは、システムがどう機能するか予測するための管理するルールを確立しようとする。

これは超男性脳仮説と関与する。「共感する女脳、システム化する男脳」参考。女性は共感化する能力が優れ、男性はシステム化する能力が優れている。共感とシステム化の2つの次元を仮定しており、一般の人にも個人差がある。

5視覚の背側路(大細胞)障害仮説

視覚の背側路(大細胞)、腹側路(小細胞)のうち、背側路に特異的な機能障害がある。従来、背側路はHOW経路と呼ばれ、この物体をいかに扱うかなどの全体的処理や運動知覚を担うとされる。腹側路は、WHAT経路と呼ばれ、この物体は何か、色や形の知覚を処理する。またWHERE経路がある。

参考文献

サイモン・バロンコーエン「自閉症スペクトラム入門」中央法規、2011

サイモン・バロンコーエン「共感する女脳、システム化する男脳」NHK出版、2005

自閉症だったわたしへ ドナ・ウィリアムス 新潮文庫

この本は、高機能自閉症(アスペルガー)の人が書いた自伝である。主人公のドナは、先天的な自閉をもち、また虐待、暴力を受けて育った。社会のなかで葛藤し、多くの人の関わりの中で成長し、自分の内面を外に出すために、防衛していた表面の人格を脱ぎ捨てる旅をした。内面をしばるものを見つけ開放し成長していった。

誰にも受け入れられない人間、どこにも属することのできない人間だという少女の苦悩に共感した。本当の自分自身を探しあてるため彼女は長い旅をし、いろんな苦闘に少し笑ってしまうような心地よさもあった。

自閉症は昔、親の育て方のせいだと言われたが、そのことは研究により否定された歴史がある。また最近になり、自閉症は、虐待(暴言や無視も含めて)によっても、人間らしい親子の交流がないことでもおこるとわかってきた。

ドナは、自閉症だったころは、NOBODY NOWHERE  と表現した。生きる勇気をもらえる一冊である。

 

発達障害は障害だから病気なの?

発達障害はなぜ障害だから病気なのか、昔から、多動の子も、変わった子どもはいてたじゃないか。診断は、障害というラベルを貼っているだけではないのか。

そのような疑問をよく耳にする。

資料を探してみた。やや古い資料ですが、わかりやすかったので紹介します。

榊原洋一 「落ち着きのない子」は病気か、ADHD LD 自閉 多動てなあに?、

労務教育センター、4-11頁、2003

脳炎後遺症の多動症状は20世紀はじめのイギリスで知られていた。

人の病気には何らかの原因があるが、多動のこどもの脳からはっきりとした病変は見つからなかった。

19世紀はドイツの病理学が世界の医学を牽引したが、ヨーロッパの伝統に縛られない実利的な考え方の強いアメリカでは、病因がはっきりしなくても、共通の症状や検査データを組み合わせて、症候群とよび、その治療法を検討する考え方を広めていった。

アメリカ精神医学会では、頻度の高い精神疾患を網羅する診断基準をつくり上げていった。

DMSⅢで1980年に採用された多動の診断基準は、多くの世界中の研究者をほぼ満足させるものだった。

注意欠陥多動症は、障害と決め付けているけれど、それは病気か。典型的な病気は、通常苦痛や不快感を伴う自覚症状と、健常な人には見られない異常所見が見られたち異常な病理所見が見られるものだ。

統合失調症やうつ病には、本人の症状以外に診断を確定する検査法がない。しかしその症状は、健常の人には見られないものであり、うつ病などは本人もそのことが自覚できる。

多動性障害は、本人に自覚症状がなく、往々にしてしかられてばかりの問題児だという低い自尊心を持っているといわれている。そのうえ、多動障害には、異常検査所見がない。

脳波は正常である、CTでも小さな変化は認められるが、それは正常範囲の所見にあたる

傾向が認められる。といったもの程度のものでしかない。心理テストについても同様で、ある傾向は認められても、それが診断につながるわけではない。

多動障害の決め手は、診断基準を満たしているかどうかという一点である。個々の症状にはその程度が明記されていないために、同じこどもでも誰が診断したかによって、多動性障害と診断されたり、されなかったりするのだ。

しかし先進国アメリカでは、多動性障害は、独立した疾患概念であると胸をはって言い切る研究者が多い。その言い分は、多動性障害と診断されたこども達は、みな一様の臨床経過をたどり症状が軽症になり成人していく。診断基準にあいまいさがあるとしても、その診断基準で診断された子ども達が同様の経過をたどるということは、疾患概念がしっかりしたものであるいう証拠だといのだ。

第二の理由は、メチルフェニデート(リタリン)などの薬剤によって大部分のこどもの症状が軽快するということだ。その原因が、なんであろうと学校や家庭での生活や人間関係に支障をきたしているその多動性障害の症状がリタリンによって軽快するという事実が多動性障害が治療を要する状態であることを雄弁に物語っているというのである。

4月19日 新型コロナウイルス

新型肺炎が世界的パンデミックになり、日本も非常事態宣言が発令されて10日たつ。

多くの人が外出を自粛し、学校再開のめどもたたない。

未曾有の経験がいつまで続くのだろうと不安になり、ストレスを抱えている。

不安と恐怖でおおわれ、口にマスクをして息を浅くし、用心するしかないのか?

自分が感染して媒介になっていないか、三つの密を避けないといけないと、他人と

距離をとる。

こんなときだから、家庭で踊ろうとSNSで励ましてくれる。

 

政府のいうことをよく聞いて、また広く情報をとろう。

自分と他人を大切にしよう。

今は非常時なんだ、その覚悟が必要だ。

今は、この感染収束後の新しい時代を迎える準備期間ととらえて、学習したり、普段できない読書や趣味を家庭でゆっくりするしかない。

休校もいつまで続くかわからない。5月の再開が困難ならば、1学期も休みになることも

考えられる。

私が総理ならこう宣言する。

「不安になる必要はありません。日本の全ての生徒は、留年とします。今年は休んでよろしい。死ぬよりましです。安心してください、学費は政府が出します」

こう宣言したら、国民の腹が据わり不安は軽くなるであろう。

コロナウイルス 武漢肺炎 3月17日

 

コロナウイルスが一向に収束しません。パンデミックとなり、世界中が大混乱です。

1月に子年で株価が上がるでしょうなんて、書きましたが、全く予想もしてない事態がきました。

令和になり状況が悪化したのをどうみますか。

日本は世界の中心となる力をもっていると信じています。御代替わりにより、世直しが起こっていると発言したら

お笑いになりますか。

 

私たちが、ウイルスの媒介者にはならないためには、強い意志で最大の防御をするしかないと思います。

できることは限られています。外出時、仕事時のマスクをする。こまめに手洗いをする。会合、外食は控える。

こどもに、危険性を丁寧に説明をする。

朝の掃除は、ドアノブ、机のアルコール消をし、床掃除は、ピューラックスを1000倍に薄めて拭き掃除をする。

トイレの後のアルコール消毒、電車の手すり吊革にできるだけ触れないなどです。

花粉用のゴーグルを注文しました。

あとできることは、ゴム手袋をする、レインコートやビニール製の介護予防服を着たら、脱いだ後に水をかければ、ウイルスを洗い流せます。

お年寄りとこどもだち、ご病気の弱い方々を守るには、できることをするしかありません。

 

ボディサイコワークとは

ボディサイコセラピーの源流は、ウィルヘルム・ライヒに始まります。精神分析学を創設したフロイトの弟子で仲間であったライヒは、精神分析家として出発し、後にフロイトと決別しました。フロイトは、「性的欲求を自制できる人こそが人格者である」と述べましたが、ライヒは、「抑圧こそが、人類を損なう」と唯一歯向かい、袂を分かちました。
ライヒは、純粋に言語に頼る精神分析から身体に直接働きかけるワークを始め、心身の抑圧を解放することに情熱を傾けました。また心身が開放され統合される時のエネルギーは、自然界にも存在することを見つけ、オルゴンエネルギーと名づけました。またオルゴンエネルギー集積器を作成し、風邪や癌を治す実験に取り組みました。そのことを巡ってアメリカ食品医薬品局に起訴され、投獄中の1957年11月にライヒは亡くなりました。
当時は朝鮮戦争後のベトナム戦争に突入した時代で、人類を力で支配する時代でした。人類の抑圧からの解放を掲げるライヒは、目障りで抹殺されました。
ライヒの弟子のアレクサンダー・ローエンは、ライヒの意思を引き継ぎ、心身の開放と統合を目指し、バイオエネジェティクスを立ち上げました。そこを始点として、後にバイオダイナミクス、バイオシンセシスなどの流派が生まれました。
また、ヨーロッパには、ボディサイコセラピー協会があり、心身両面の統合を目指すセラピストが所属しているようです。私は理学療法士ですので、そこには属さずに運動療法であるボディワークや、ボディサイコワークを行っています。心身の開放と統合を目指し、豊かな自己表現ができるように参加者と共に学んでいます。

参考文献
・マイロン・シャラフ、「ウィルヘルム・ライヒ 生涯と業績 上下」、1996年、新水社
・アレクサンダー・ローエン、「バイオエネジェティクス 原理と実践」、1994年、春秋社